2010年4月25日日曜日

0317 フライブルク

▼旅行17日目
写真(フライブルク)
★3月17日★ドイツ3日目。Freiburg

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 ハイデルベルクでディーターの家にお世話になった後、環境首都として有名なフライブルクに向かった。フライブルクはフランスとスイスの国境に近い、人口20万人ほどの小さな山間の都市。しかし、1980年代から太陽光発電産業と公共交通と自転車の利便性向上を図り、持続可能なまちづくりを実践して有名になった。今では環境首都として、また太陽光発電の研究開発拠点として世界中から視察が絶えない街になっている。

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この街に来て、まず驚いたことは、特急が止まる中心駅のホームから階段を上ると目の前にトラムの駅があることだ。本当に便利で、この例一つとっても公共交通の利便性を最大限高めようとする意志を感じる。
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街の中心部までは駅から歩いて五分ほど。トラムでは2つ目の停留所。中心の商店街はトランジットモールになっていて、一般車両は入れず、徒歩と自転車とトラムのみが出入りする。この商店街の停留所には市内を走る4つのトラムがすべて止まる。そのためか、この商店街の人通りはとても多かった。たまたまだったのか、商店街の人通りではドイツの街で一番だった気がする。
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この中心街は、おそらく中世は城壁で覆われていて、今もその門塔が残っている。トラムはこの門塔の下をくぐる。また、道の端には幅20センチくらいの小川が流れていて、クリーンなイメージを作る。これもあえて作られたものらしい。聖堂やシティホールは古く歴史ある建物で写真を撮る人が多かった。建物は全体的に古く、歴史を感じさせるが中の商店には有名なブティックが入っている。ハイデルベルクでもそうだったが、日本なら古い建物にROLEXの店舗が入っていたら違和感を感じるが、ドイツではまったく違和感を感じさせない。建物の外装に厳しい制限があるからなのか、文明の差異なのか・・。

トラムに気ままに乗り、終着駅に向かう。時間があったので4つのトラムすべてに乗り、4つの終着点に行ってみた。一つ目は住宅街と広大な農場のような公園が広がるところ。2つ目はマンションとパークアンドライドと大きな公園のあるところ。3つ目は森に囲まれた細い谷間で、一軒一軒の古い建物と教会がある。最後は大きなバスセンターで商店が広がるところであった。何よりも緑が多い。後背にシュバルツバルトを抱える街だけに公園の中にも林が広がる。また公園や遊具も多くレクリエーションには事足らない。
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住宅も庭があって広々としていて、地区センターや幼稚園などが整備されている。マンションが広がるところもあるが、一棟の間隔が広く、芝生や木々が多くて住み心地はとてもよさそうだった。そんなところが街の中心地からトラムで20分ほどにあって素晴らしいと思った。さらに多くの住宅の屋根に太陽光発電装置があり、太陽光発電の街を感じさせた。日本の方が太陽光発電の研究は進んでいるのに、公的援助が乏しいためにあまり広がっていない現状に疑問を感じた。

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街の中心部にほど近い公園に行くと、多くの子供たちが遊んでいた。ここでも日本との違いを感じたのは、男性が子供を連れているケースが日本よりはるかに多い。また、自転車に牽引させるタイプのベビーカーが多い。このベビーカーは押して使うこともできるし、大人の身長ほどもある旗を立てていて、遠くから見てもわかりやすく接触事故のリスクを減らしている。さて、この公園はすぐ後ろが山になっていて見晴らしがいい。坂が険しいので中腹まで運んでくれる200mほどの長さの無人のエレベーターもある。歩いて登るとかなりきついが、エレベーターの上駅にはカフェがあって、そこでのコーヒーはとても美味しかった。街の全景も見え、木々に囲まれた家々が広がっていて、新緑の季節はとても美しいのだろうと思った。

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自転車と太陽光発電と公共交通の街、フライブルクはそのこと自体を誇りにしていて、ツーリストインフォメーションでは冊子もおいていた。視察が絶えないためだろう。街のガイド本にも市長のメッセージがあり、未来に向けて持続可能な社会を作ろうとしている街の意思を感じることができた。

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0316 シュツットガルド

▼旅行16日目
写真(ハイデルベルグ)
★3月16日★ドイツ2日目。Stuttgart

ハイデルベルグから電車で1時間ほどの、谷間の都市シュツットガルトへ。この街は、ベンツの街として有名。駅ビルの塔にドドンとベンツマークがあり、郊外にはベンツの工場とベンツ博物館がある。 この街には、ドイツでは珍しくトラムが走っていない。さすがベンツの企業城下町ということなのだろうか。

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 この街は中心市街地に古い古い博物館や記念館など歴史的な建造物が多い。また中心部の公園はとても広く、デパートやオシャレな店も多い。さらに、ガラス張りで四角い形の近代美術館もある。街の魅力を特に芸術や歴史で輝かせようとしているようだ。
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 デパートで日本にいるときから探していた真っ青なYシャツを見つけ、衝動買いしてしまった。外国人がスーツでよく着ている真っ青なYシャツをずっと欲しかったのだが日本では見つからず・・。偶然見つけてしまったので買ったしまった。だがいい買い物をしたと自己満足する。このデパートでも思ったのだが、基本的にドイツではトイレに掃除のおばちゃんがいて、チップをあげることになっている。彼女たちの給料はチップによる歩合制なのだろうか・・・。
 そんなことを思いながら、中心地を抜け、住宅街に広がる周辺部の丘陵地帯へ向かう。シュツットガルトは本当に谷間にあって、山へと続く斜面に住宅がへばりついている。山がちな土地に頑張って家を建てる日本人とどこか似ている気がした。頑張って登った高台の道路から街を眺めると、とても気持ちいい。逆に、そこからの景色はドイツ特有のもので日本ではないと強く感じさせた。無駄に大きいマンションやビルがなく、統一感のある街並みは、壁や屋根や建物を公共のものと考えて景観への規制が強いドイツらしい。日本は景観に無頓着すぎるので、バラバラで残念な街並みになってしまっているのだ
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0315 ハイデルベルク

▼旅行15日目
写真(ハイデルベルグ)
★3月15日★ドイツ1日目。heidelberg

 ストラスブールを昼過ぎには出て、友人がちょうど滞在しているドイツのハイデルベルクに向かう。ついに旅行の最終国、ドイツに入る。
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 ハイデルベルクは山間の都市で、ネッカー川が流れ森に囲まれた自然あふれる古都。家々が赤い屋根で統一されていて、街並みが本当にきれい。
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ビスマルクフラッツから教会へと続くメイン商店街は車両通行止め。たくさんの人が商店街を賑わせていた。
特にとても面白い外見をしているのに実用性がある小物を売ってるオシャレな店があったり、ギネスにのったというアルコール度数11.5%のビール(マジで濃い!)を出しているパブがあったりで、飽きさせない。

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また、ゲーテが学んだという古い大学や1500年代に建てられたお城もある。このハイデルベルグ城は、中世の時代から建っていて、数々の戦争を経ている。中には、直径10mくらいのワイン樽があったり、薬の博物館があったりする。日本人も多く、国際的な観光の街という感じがした。


 ハイデルベルクは15日と16日宿泊した。友人はこの町に一年間留学したことがあり、ちょうど友人のおじいさんのお宅に下宿していたため、この方のお宅で2泊させていただいた。この方はディーターという元教師のドイツ人で、とても優しい方だった。また、8か月のメスの犬を飼っていて、彼女の名前はオシアという。オシアは非常によくしつけされていて、また人懐こい可愛い犬だった。ディーターがとても可愛がっていて、しっかりしつけして、長い時間散歩しているそうだ。
 
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2010年4月15日木曜日

0314~ ストラスブール

▼旅行15日目
写真(ストラスブール)
★3月14日~15日★フランス5日目。Strasbourg

 パリでTGVに乗り、ストラスブールに着く。時間はすでに22時で、地元の人に聞きながらなんとかトラムに乗ってYHに到着する。YHの紹介本は、各地のYHについて網羅してあって便利なのだが、駅からYHまでの地図が間違っていることが本当に多く、ストラスブールのYHまでの地図も方角表記が南北逆でかなり焦った。



 そんなストラスブールはドイツとの国境にあって、交通の要所、大きなバラ色の大聖堂や川沿いの古い町並みがとてもきれいだった。翌朝すぐに街を見学していたが、なによりもクールだったのがトラム。こちらに来て数多くのトラムに乗ったが、一番スタイリッシュだった。噂によると、かつて市議会選挙で選挙の目玉になったのがこの新型トラムLRTの導入だったらしく、それにふさわしい洗練さと便利さと輸送能力のあるトラムだった。何しろ窓が大きく、乗降車時の段差が本当に少なく、また5両~7両編成と輸送能力も高い。また、市の中心部のトラムステーションはとてもモダン屋根で印象的だった。

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 ストラスブールのもう一つの目玉は、郊外にあるEU評議会である。建物の中はセキュリティが厳しくて入ることができないが、ガラス張りのモダンで大きな建物が複数並んでいた。ちょうどダウンタウンを歩いているとき、歴史のありそうなホテルの前にパトカーや警官がたくさん待機していて何かあるのかと思ったが、おそらくどこかの国の要人なのだろう。


0314 パリ

▼旅行14日目
写真(パリ)
★3月14日★フランス4日目。Paris

 パリからドイツとの国境で、EUの本拠地の一つであるストラスブールに向かう。ただ、電車の予約がうまくいかず、パリ発は夜の7時になってしまったので、パリ市内の散策をした。ちょうど日曜日だったので、蚤の市に向かう。2つの蚤の市にいったのだが、周り住宅街に住む人に、蚤の市の品は左右されるのだと思った。一つ目のパリ東側の蚤の市『モントルイユの蚤の市』は、けっこうジャンクな感じで日用品から電化製品まで売っていて、あまり骨董品はなかった・・・。

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 次に行ったセーヌ川の右岸のエッフェル塔の裏あたりの蚤の市『ヴァンヴの蚤の市』は、もっと落ち着いていて絵画や高価な食器があって面白かった。そこで小さな小さな絵を10ユーロで買うことができた。

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 ランチをおしゃれなカフェで食べた後、北野武の個展がカルティエ現代美術館であり彼の作品を見に行った。パリ市民ですごい行列で、「世界の北野」の人気を感じることができた。中にあるのは風刺を含んだアートで、ピカソみたいな絵画やら、日本の変なところを皮肉った工作物やら、恐竜が絶滅したとんでもない理由を描いて現代人のとんでもないところを笑いにしていた。中でも、時計の部品が机の上でひたすらガタガタしていて、いわく「生命体が住める地球という星が存在する確率は、これらの部品が勝手に組みあがて完成する確率」という作品は面白かった。また、「北野武の本当の仕事」というコーナーではテレビ番組(日本テレビ系の世界丸見え)でおどけるビートたけしがずっと上映されていて、フランス人が面白そうに見ていた。

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0313 ヴェルサイユ

▼旅行13日目
写真(ヴェルサイユ)
★3月13日★フランス3日目。Versailles

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 翌13日はヴェルサイユ宮殿に向かう。パリから電車で45分ほど。駅から歩いて10分である。宮殿はとにかく広く、豪華だった。大きな宮殿の全ての部屋が10回以上改装したのだとガイドに書いてあったとおり、本当に贅を尽くしたつくりになっている。

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 また、庭園も広大で、宮殿からはるか先まで続いている。なにしろ庭の中に大運河があって、ルイ14世はその運河で離宮まで行っていたそうだ。ちなみにこの離宮までは約2キロ。大運河は全長3キロだそうだ。

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 庭園は直線的な道と、その道に挟まれた木々、そして道が交差するところに噴水があるとても人工的な感じのする庭だった。庭の木々はきれいに刈りそろえられていて、また機械の回路のように複雑で精巧に配置されている。低木によって迷路のようなエリアや、中心の噴水から放射状に道が広がる林などがある。また、長方形に刈り込まれた大きな木による並木道が延々と続くなど、イギリスのバッキンガム宮殿前の公園とは趣が全く違う。
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 ヴェルサイユ宮には離宮が2つあるが、ルイ16世によってマリーアントワネットに贈られた小トリアノン
宮がある。ここにも庭があるのだが、こちらの庭はイギリス風庭園を内包しているだけあって、曲がりくねった道や起伏、洞窟や雑多な木々がある。個人的にはこちらの庭の方が、落ち着く。
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 このヴェルサイユ宮殿の一番の印象は「兵どもの夢のあと」であった。または、ジブリアニメの「天空の城ラピュタ」のシーンで、パズーとシータがラピュタ城の庭で園庭のロボットに「君、さびしくないの?」と聞いたときを思い出させた。庭や宮殿は今でも華美で尊大だが、主のいない宮殿は、どこか物悲しい。

2010年4月4日日曜日

旅行記0312 パリ(ヴィンセンヌの森、ルーブル博物館など)

▼旅行12日目
写真(パリ)
写真(ルーブル博物館)
★3月12日★フランス2日目。Paris

 ユースホステルはパリの中心部から東側に郊外部分にあって、環状道路が近いダルタニアンユースホステルであった。ここから、Velibに乗ってヴィンセンヌの森~ルーブル博物館~コンコルド広場~シャンゼリゼ通り~凱旋門~エッフェル塔まで、歩きを挟みながら移動した。ヴィンセンヌの森は、パリに2つある広大な公園で、広大な芝生や池、林がある公園である。Velibに乗っていたら公園管理人に怒られてしまった。イギリスやオランダでは公園内の自転車はOKだが、フランスでは禁止なのだそうだ。
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 ヴィンセンヌの森からは環状線に沿って南下してセーヌ川を渡り、その後はセーヌ川の左岸をのんびり走っていた。ここでもLondonとの比較になるが、セーヌ川沿いはプロムナードが整備されておらず、歩行者や自転車はたびたび車道に阻まれてしまう。ロンドンのテムズ川右岸。ロンドンアイからテートモダン、ロンドンブリッジまでの歩行者用プロムナードは、車道とは一段低いレベルにあって、ほとんどの部分を歩いていくことができる。そことの比較をしてしまうと少し残念な気がした。
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 そのままノートルダム寺院に着く。このセーヌ川の中州であるシテ島に立つ寺院を通って、さらにルーブル博物館へ。ルーブル博物館ではギリシャ・ローマ時代の像、サモトラケのニケや、ミロのヴィーナス、アウグストゥスやハドリアヌスを代表とするローマの皇帝達の像に感動しながら3時間ほど過ごした。絵画や内装、天井の装飾画も素晴らしかった。
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ルーブル美術館の入口

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サモトラケのニケ像

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ローマ時代の彫像が並ぶ部屋
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 初代皇帝アウグストゥスの像

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学校の美術の授業(?)は本物を見ながら・・

 ルーブル博物館からコンコルド広場にかけて、公園内を歩いた。ここにはユリウス・カエサルの像やハンニバルの像なども立っており、コンコルド広場の中心に立つオベリスクはエジプトを思い出してくれた。シャンゼリゼ通りをひたすら凱旋門まで向かい、途中Velibに乗りながら進む。凱旋門では、その門の真下に献花と火があって、何か捧げられていたのだが、それが誰に捧げられていたのかはわからずじまいだった。そこからエッフェル塔まで歩き、エッフェル塔の展望台に行く人の列を横目で見ながら写真だけ撮ってその日の街歩きを終了した。
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パリにゴスロリが!           
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凱旋門

旅行記パリ 0311

▼旅行11日目
▼写真(パリ)
★3月11日★フランス1日目。Paris

 3月11日の午後16時、パリの北駅に到着した。パリの第一印象は、オランダやイギリスに比べて暖かいことと、結構道路が汚いことだった。そんなパリに到着して、まず向かったのがLe Villetteである。そこはSSD100という本にも掲載されていたパリ郊外にある有名な再開発エリアで、学術・教育機関やコンサートホール、遊園地などがある。そこに行くために、パリの北駅から東駅に向かい、そのまま東に進んで運河に行き、この運河をひたすら遡って行った、この運河”Canal St MATIN”はもうすでに運河としての機能はない。Londonのリージェント運河が観光用のボートを残しているのとは違っている。また、運河沿いをずっと歩いて行けるわけではなく、道路の下をくぐったりすることはできない。リージェント運河は、運河沿いを通る人のためによく整備されていたのだなと感じた。とはいっても、瀟洒な建物が運河沿いには並んでいて、歩いていて面白い。
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 そのまま歩き続け、ついにLe Villetteに到着した。運河を横切るモダンな歩行者用の橋を越え、遊園地のメリーゴーランドを見ながら、Siteと呼ばれていた大きな建物に入る。この建物は博物館、科学館、水族館、図書館が入っている総合教育文化施設で、直径20m程で銀色に輝く球形の構造物も併設している。これは3D投影式のプラネタリウムと書いてあったが、すでに閉館していた。この中の図書館はとても大きく、またインターネットも自由に使えたため、ここでネットをしながら一休みすることができた。

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 Le Villette地区を出たのち、パリで話題のコミュニティサイクル"Velib"のステーションを発見した。パリに来たらぜひ使いたいと思っていたので、さっそく無人の機械を操作し使ってみる。機械での登録は多少わかりづらかったがなんとか完了し、実際に借りてみる。自分の登録ナンバーを無人の操作盤に入力して、20くらいあるスタンドに収まっているVelibの中から使いたいVelibの番号を押すだけである。Velibはすべて同じ自転車で、3段ギア、自動のLEDライト、カゴがついていて、スタンドとは電子ロックで接続されている。一つのスタンドには10~20台くらいのVelibがロックされているが、中にはスタンドに一つもVelibがないところがあり、逆にすべてのスタンドが埋まっていてVelibを返そうと思っても返せないところがある。ただ、このVelibステーションは約200mくらいの感覚で街中にあり、しかもステーションの操作盤の裏には近くの他のVelibステーションの位置があるため、返す分にはあまり困らない。ちなみに料金だが、登録料として7日で5ユーロ払って登録した後は、30分以内の利用なら何回でも無料である。1時間内に返せば1ユーロかかる。長時間借り続けると料金はかかってしまうが、少し使って、また乗ることができるため、実際にはほとんど無料で使うことができた。
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ただ、このVelibには2つほど短所があると感じた。一つは、なんらかの故障があるVelibがよくあったことだ。例えば、パンクしている、サドルが動かない、ギアが変わらない、などである。もう一つは、パリの街がそこまで自転車インフラの整備が進んでいないことだ。自転車道路はないところの方が多いし、自転車用信号もない。車道の交通量は非常に多いし、路上駐車している車も多いため、車と車の隙間を縫うようにして走らなければならない。また、道路が石畳で走っていて疲れることもある。どうしてもオランダの自転車道路の整備の素晴らしさを見た後だったので、パリの自転車インフラの整備の遅れが印象的だった。しかし、何よりも本当にたくさんあるVelibステーションと、その使用料金の安さには感動した。日本でもコミュニティサイクルの実証実験が横浜市や千代田区などで始まっているが、自転車道路などのインフラ整備を行って、安全に自転車を使える環境を作ってからコミュニティサイクルを大々的にやることがベストなのだろう。

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旅行記0310 アムステルダム

▼旅行10日目
写真(アムステルダム)
★3月10日★オランダ2日目。Amsterdam

 ロッテルダムを後にし、アムステルダムに向かう。アムステルダムはさすがに北のベネチアといわれているだけあり、運河がはりめぐされた港町である。しかし何よりも素晴らしかったのが、その美しい建物と公共交通機関のネットワークである。オランダの建物のイメージそのままである3角屋根の建物が並ぶ。建物はパステル調で落ち着いているが色鮮やかで見ていて飽きない。またトラムとバスは本当に多く走っていて要所にはすぐ行けるだろう。
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 今回、駅前で自転車を借りたので、自転車でアムステルダムの街を走ったが、本当に走りやすい。ロッテルダムもそうだったが、本当に自転車道路が整備されている。パリもVelibというコミュニティサイクルがあって自転車利用に力を入れているが、この自転車道路のネットワークや自転車用信号などのインフラの充実は本当にすごい。惜しむらくは天気が曇りで、風が冷たかったこと。暖かい季節ならベストな移動手段だろう。自転車については、パリと少し違い、公園の中も走っていいようだった。これはイギリスでもそうで、ロンドンのハイドパークでは多くの自転車が走っていた。パリの公園や広場は自転車交通は不可で、乗っていると怒られた。公園の考え方の違いなのかだろうか。

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 アムステルダムで見学した施設はアンネフランクの家とシティホールの2つ。アンネフランクの家はアンネの日記で有名なユダヤ人の少女アンネが、実際にナチス占領下のアムステルダムで隠れていた家である。その家を、家族で一人生き残った父親のオットーフランクなどの尽力で記念館にしたものである。2年間も狭い隠れ家で家族・友人と隠れ住んでいたアンネの気持ちや、背比べをして柱に記した跡が残っている。この記念館の中でもっとも心に残ったのは、オットーフランクが戦後に残した言葉だった。「To build a future, you have to know a past.(未来を築くためには、過去を知らなければならない。)」

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 シティホールはたまたま入った。たまたま入ったが、素晴らしいコンサートホールもあり、たくさんの方が何かの公演の開場待ちをしていた。また、アムステルダムの歴史や建物を紹介するコーナーがあった。ここでは、年代ごとにアムステルダムの歴史的建造物を教えてくれた。また、透明なパイプがあり、水が上下している装置があって、なにかと思ったらシティホールの海抜を知らせる装置だった。特に、数十年前に大洪水があった時の最大水位まであがるパイプもあり、洪水の恐怖と教訓を今に教えるようだった。

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