2010年5月17日月曜日

0319ベルリン ~帰国へ

★西ベルリン写真
 ベルリン2日目は、午前中ベルリンの観光名所である国会議事堂と、虐殺されたユダヤ人の記念館、モダンなポツダムプラッツを見た。午後は、旧東ドイツの時代に作られた古いマンモス団地に行き、団地のリノベーションの現場を見学した。
 ベルリンの観光名所、国会議事堂は朝の九時から30mくらいの行列・・。しかも並んでいる内にさらに伸びていって50mくらいの行列になるほどの人気だった。粘って粘ってなんとか入り、ボディチェックを受けてエレベーターで屋上展望台へ。ガラス張りのドームのような展望台はとにかくきれい。そしてベルリンの街が一望できる。ベルリンの街は建物の高さ制限がきっちりされていると思われる。何よりもすごいのはドームの中央部には巨大な鏡のモニュメントがあり、これは真下にある本会議場に太陽光を反射させていれる採光システムだった。

素敵な国会議事堂を後にして、ユダヤ人の記念館へ。無機質なコンクリートブロックがひたすら碁盤目のように置かれたこの施設は、最近できたらしい。コンクリートブロックは一つで小さな電話ボックスくらいある。それが縦横に並んでいてとても不思議な感じになる。地下が博物館になっていて、虐殺された人々の記録が生々しく残っていた。

 ランチはケバブを食べる。ドイツはかつての3B作戦(ベルリン、ビザンティウム、バクダット)の名残なのか


  ★東ベルリン写真
 団地のリノベーションの現場を見たいと思って、ベルリン中央駅から電車で30分ほど。マルツァーレン・ヘーラースドルフ地区である。ここは、日本の多摩ニュータウンのような郊外のマンモス団地で、1980年代ごろに開発された、6万戸を超える巨大な団地で、工場で作られたパネルによって無機質に延々と作られたマンション群は、労働者のコインロッカーと呼ばれたそうだ。これらの団地は、東西統一後に良い仕事や住環境を求めて人が離れゴーストタウンになりそうになった。それを、国の旧東側の開発プロジェクトの一環で、魅力的な住環境を再構築したものだ。
そのやり方は、人が少なくなったマンションの撤去によりコミュニティスペースや市民農園を作ること、建物の断熱性能の向上やエレベーターの設置、壁に色や絵を塗って外観をよくすることなどである
翌20日はヨーロッパ最終日。乾燥したベルリンを経ち、一路フランクフルトへ。
フランクフルトからはモスクワ経由で成田へ。深夜発のフライトでモスクワに着いたのは朝の5時。そして、成田発の飛行機は同日の19時。ひたすら空港内で時間を過ごし、無駄に過ごし、売店上のテレビで放送していたサッカーをみて、ひたすら時間を過ごしてついに日本に到着。

この長い旅を経て、多くの人に出会ったし、日本の街のことが別の視点で見れるようになった。本当によい経験ができた。

2010年5月9日日曜日

ベルリン0318

▼旅行18日目
写真(ドイツ)
★3月18日★ドイツ4日目。Berlin

 フライブルクで21時に夜行列車に乗ってベルリンへ向かう。夜行列車はこの旅で初めて。6人一部屋の夜行列車だが、3人だったのでラッキーだった。ちなみにドイツとスイスの方が一緒で、日本の横浜という街から来たとか話しながらベルリンに到着した。
イラスト1

 ベルリン中央駅は地下と地上にもホームがある巨大な駅。きっとベルリンの壁がなくなった後作られたのだろう。朝の7時にベルリンに着いたので、とりあえず駅近くの観光名所、ブランデンブルグ門へ。そこではパントマイマーが準備をしていた。門の前には自分が立つ台を置いたり、位置を確認したりと余念がない。そこからさらに歩いて今日泊まるホテルへ。荷物だけ置くことができて幸運だった。


 ベルリンは二泊三日の行程なので、初日はベルリンの街を歩きまくることにした。まずは旧チェックポイントチャーリーハウス、ベルリンの壁の検問がかつてあって、壁を越えようとした人たちの戦いの歴史を紹介する博物館へ。2つのトランクを繋げて穴をあけ、その中に入って壁を越えた女性。トンネルを掘っての大脱走。壁を越えようとする人を全自動で打つマシンガンを命がけで解体した人。手製の飛行機で脱出した人などが、そのグッズとともに紹介されていた。



 そこから東側の街をてくてく歩く。天気が良かったためか、川沿いにはたくさんの釣り人がいる。また、ベルリンの旧西側は地下鉄が多いが、旧東側は路面電車がメイン。また、建物も西側はきらびやかで東側はのどかな感じ。やはり旧東西の違いは今も残る。

川沿いを歩いてヤノビッツブリュケ駅まで到着。隣のアレクサンダープラッツ駅で降り、ベルリン王宮や博物館島へ。

外観を写真だけ撮り、さらに歩いて再びブランデンブルグ門へ。昼間の門は朝と違って大量の観光客だった。その近くの公園が見えるパブでランチをとる。なんといってもビールはおいしい。ジャーマンポテトも頼んだら量が半端なく多かった。


 ランチを食べ、近くにある国会議事堂へ。ドイツの国会議事堂は、屋上がガラス張りの展望台になっていて入場無料のため、恐ろしく混んでいる。この日は入場をあきらめ、ベルリン中央公園へ。この公園もとにかく広い。そして、LondonやParisの公園と大きく違って林が中心。芝生は少ない。ゲルマン人は森の人だとガリア戦記でカエサルが書いていた。2000年前からドイツ人の本質は変わっていないのかなと思うと面白かった。

 中央公園をひたすら歩き、動物園の脇を通るとアルパカが見えた。さらに進んでベルリン動物園駅へ。駅の周りは旧西側であり、どこか活気がある。活気もあるが、欲望もむき出しで、エロティック博物館まである。シュツットガルドもそうだったが、ドイツは商業中心地に歌舞伎町みたいなエリアが多い気がした。

2010年4月25日日曜日

0317 フライブルク

▼旅行17日目
写真(フライブルク)
★3月17日★ドイツ3日目。Freiburg

イラスト2
 ハイデルベルクでディーターの家にお世話になった後、環境首都として有名なフライブルクに向かった。フライブルクはフランスとスイスの国境に近い、人口20万人ほどの小さな山間の都市。しかし、1980年代から太陽光発電産業と公共交通と自転車の利便性向上を図り、持続可能なまちづくりを実践して有名になった。今では環境首都として、また太陽光発電の研究開発拠点として世界中から視察が絶えない街になっている。

イラスト2

この街に来て、まず驚いたことは、特急が止まる中心駅のホームから階段を上ると目の前にトラムの駅があることだ。本当に便利で、この例一つとっても公共交通の利便性を最大限高めようとする意志を感じる。
イラスト2

街の中心部までは駅から歩いて五分ほど。トラムでは2つ目の停留所。中心の商店街はトランジットモールになっていて、一般車両は入れず、徒歩と自転車とトラムのみが出入りする。この商店街の停留所には市内を走る4つのトラムがすべて止まる。そのためか、この商店街の人通りはとても多かった。たまたまだったのか、商店街の人通りではドイツの街で一番だった気がする。
イラスト2

この中心街は、おそらく中世は城壁で覆われていて、今もその門塔が残っている。トラムはこの門塔の下をくぐる。また、道の端には幅20センチくらいの小川が流れていて、クリーンなイメージを作る。これもあえて作られたものらしい。聖堂やシティホールは古く歴史ある建物で写真を撮る人が多かった。建物は全体的に古く、歴史を感じさせるが中の商店には有名なブティックが入っている。ハイデルベルクでもそうだったが、日本なら古い建物にROLEXの店舗が入っていたら違和感を感じるが、ドイツではまったく違和感を感じさせない。建物の外装に厳しい制限があるからなのか、文明の差異なのか・・。

トラムに気ままに乗り、終着駅に向かう。時間があったので4つのトラムすべてに乗り、4つの終着点に行ってみた。一つ目は住宅街と広大な農場のような公園が広がるところ。2つ目はマンションとパークアンドライドと大きな公園のあるところ。3つ目は森に囲まれた細い谷間で、一軒一軒の古い建物と教会がある。最後は大きなバスセンターで商店が広がるところであった。何よりも緑が多い。後背にシュバルツバルトを抱える街だけに公園の中にも林が広がる。また公園や遊具も多くレクリエーションには事足らない。
イラスト2

住宅も庭があって広々としていて、地区センターや幼稚園などが整備されている。マンションが広がるところもあるが、一棟の間隔が広く、芝生や木々が多くて住み心地はとてもよさそうだった。そんなところが街の中心地からトラムで20分ほどにあって素晴らしいと思った。さらに多くの住宅の屋根に太陽光発電装置があり、太陽光発電の街を感じさせた。日本の方が太陽光発電の研究は進んでいるのに、公的援助が乏しいためにあまり広がっていない現状に疑問を感じた。

イラスト3

街の中心部にほど近い公園に行くと、多くの子供たちが遊んでいた。ここでも日本との違いを感じたのは、男性が子供を連れているケースが日本よりはるかに多い。また、自転車に牽引させるタイプのベビーカーが多い。このベビーカーは押して使うこともできるし、大人の身長ほどもある旗を立てていて、遠くから見てもわかりやすく接触事故のリスクを減らしている。さて、この公園はすぐ後ろが山になっていて見晴らしがいい。坂が険しいので中腹まで運んでくれる200mほどの長さの無人のエレベーターもある。歩いて登るとかなりきついが、エレベーターの上駅にはカフェがあって、そこでのコーヒーはとても美味しかった。街の全景も見え、木々に囲まれた家々が広がっていて、新緑の季節はとても美しいのだろうと思った。

イラスト2

自転車と太陽光発電と公共交通の街、フライブルクはそのこと自体を誇りにしていて、ツーリストインフォメーションでは冊子もおいていた。視察が絶えないためだろう。街のガイド本にも市長のメッセージがあり、未来に向けて持続可能な社会を作ろうとしている街の意思を感じることができた。

イラスト2

0316 シュツットガルド

▼旅行16日目
写真(ハイデルベルグ)
★3月16日★ドイツ2日目。Stuttgart

ハイデルベルグから電車で1時間ほどの、谷間の都市シュツットガルトへ。この街は、ベンツの街として有名。駅ビルの塔にドドンとベンツマークがあり、郊外にはベンツの工場とベンツ博物館がある。 この街には、ドイツでは珍しくトラムが走っていない。さすがベンツの企業城下町ということなのだろうか。

イラスト2

 この街は中心市街地に古い古い博物館や記念館など歴史的な建造物が多い。また中心部の公園はとても広く、デパートやオシャレな店も多い。さらに、ガラス張りで四角い形の近代美術館もある。街の魅力を特に芸術や歴史で輝かせようとしているようだ。
イラスト2

イラスト2

 デパートで日本にいるときから探していた真っ青なYシャツを見つけ、衝動買いしてしまった。外国人がスーツでよく着ている真っ青なYシャツをずっと欲しかったのだが日本では見つからず・・。偶然見つけてしまったので買ったしまった。だがいい買い物をしたと自己満足する。このデパートでも思ったのだが、基本的にドイツではトイレに掃除のおばちゃんがいて、チップをあげることになっている。彼女たちの給料はチップによる歩合制なのだろうか・・・。
 そんなことを思いながら、中心地を抜け、住宅街に広がる周辺部の丘陵地帯へ向かう。シュツットガルトは本当に谷間にあって、山へと続く斜面に住宅がへばりついている。山がちな土地に頑張って家を建てる日本人とどこか似ている気がした。頑張って登った高台の道路から街を眺めると、とても気持ちいい。逆に、そこからの景色はドイツ特有のもので日本ではないと強く感じさせた。無駄に大きいマンションやビルがなく、統一感のある街並みは、壁や屋根や建物を公共のものと考えて景観への規制が強いドイツらしい。日本は景観に無頓着すぎるので、バラバラで残念な街並みになってしまっているのだ
イラスト2

イラスト2

0315 ハイデルベルク

▼旅行15日目
写真(ハイデルベルグ)
★3月15日★ドイツ1日目。heidelberg

 ストラスブールを昼過ぎには出て、友人がちょうど滞在しているドイツのハイデルベルクに向かう。ついに旅行の最終国、ドイツに入る。
イラスト2

 ハイデルベルクは山間の都市で、ネッカー川が流れ森に囲まれた自然あふれる古都。家々が赤い屋根で統一されていて、街並みが本当にきれい。
イラスト2

ビスマルクフラッツから教会へと続くメイン商店街は車両通行止め。たくさんの人が商店街を賑わせていた。
特にとても面白い外見をしているのに実用性がある小物を売ってるオシャレな店があったり、ギネスにのったというアルコール度数11.5%のビール(マジで濃い!)を出しているパブがあったりで、飽きさせない。

イラスト2
また、ゲーテが学んだという古い大学や1500年代に建てられたお城もある。このハイデルベルグ城は、中世の時代から建っていて、数々の戦争を経ている。中には、直径10mくらいのワイン樽があったり、薬の博物館があったりする。日本人も多く、国際的な観光の街という感じがした。


 ハイデルベルクは15日と16日宿泊した。友人はこの町に一年間留学したことがあり、ちょうど友人のおじいさんのお宅に下宿していたため、この方のお宅で2泊させていただいた。この方はディーターという元教師のドイツ人で、とても優しい方だった。また、8か月のメスの犬を飼っていて、彼女の名前はオシアという。オシアは非常によくしつけされていて、また人懐こい可愛い犬だった。ディーターがとても可愛がっていて、しっかりしつけして、長い時間散歩しているそうだ。
 
イラスト2

2010年4月15日木曜日

0314~ ストラスブール

▼旅行15日目
写真(ストラスブール)
★3月14日~15日★フランス5日目。Strasbourg

 パリでTGVに乗り、ストラスブールに着く。時間はすでに22時で、地元の人に聞きながらなんとかトラムに乗ってYHに到着する。YHの紹介本は、各地のYHについて網羅してあって便利なのだが、駅からYHまでの地図が間違っていることが本当に多く、ストラスブールのYHまでの地図も方角表記が南北逆でかなり焦った。



 そんなストラスブールはドイツとの国境にあって、交通の要所、大きなバラ色の大聖堂や川沿いの古い町並みがとてもきれいだった。翌朝すぐに街を見学していたが、なによりもクールだったのがトラム。こちらに来て数多くのトラムに乗ったが、一番スタイリッシュだった。噂によると、かつて市議会選挙で選挙の目玉になったのがこの新型トラムLRTの導入だったらしく、それにふさわしい洗練さと便利さと輸送能力のあるトラムだった。何しろ窓が大きく、乗降車時の段差が本当に少なく、また5両~7両編成と輸送能力も高い。また、市の中心部のトラムステーションはとてもモダン屋根で印象的だった。

イラスト2

イラスト2

イラスト2

 ストラスブールのもう一つの目玉は、郊外にあるEU評議会である。建物の中はセキュリティが厳しくて入ることができないが、ガラス張りのモダンで大きな建物が複数並んでいた。ちょうどダウンタウンを歩いているとき、歴史のありそうなホテルの前にパトカーや警官がたくさん待機していて何かあるのかと思ったが、おそらくどこかの国の要人なのだろう。


0314 パリ

▼旅行14日目
写真(パリ)
★3月14日★フランス4日目。Paris

 パリからドイツとの国境で、EUの本拠地の一つであるストラスブールに向かう。ただ、電車の予約がうまくいかず、パリ発は夜の7時になってしまったので、パリ市内の散策をした。ちょうど日曜日だったので、蚤の市に向かう。2つの蚤の市にいったのだが、周り住宅街に住む人に、蚤の市の品は左右されるのだと思った。一つ目のパリ東側の蚤の市『モントルイユの蚤の市』は、けっこうジャンクな感じで日用品から電化製品まで売っていて、あまり骨董品はなかった・・・。

イラスト2

 次に行ったセーヌ川の右岸のエッフェル塔の裏あたりの蚤の市『ヴァンヴの蚤の市』は、もっと落ち着いていて絵画や高価な食器があって面白かった。そこで小さな小さな絵を10ユーロで買うことができた。

イラスト2

イラスト2

 ランチをおしゃれなカフェで食べた後、北野武の個展がカルティエ現代美術館であり彼の作品を見に行った。パリ市民ですごい行列で、「世界の北野」の人気を感じることができた。中にあるのは風刺を含んだアートで、ピカソみたいな絵画やら、日本の変なところを皮肉った工作物やら、恐竜が絶滅したとんでもない理由を描いて現代人のとんでもないところを笑いにしていた。中でも、時計の部品が机の上でひたすらガタガタしていて、いわく「生命体が住める地球という星が存在する確率は、これらの部品が勝手に組みあがて完成する確率」という作品は面白かった。また、「北野武の本当の仕事」というコーナーではテレビ番組(日本テレビ系の世界丸見え)でおどけるビートたけしがずっと上映されていて、フランス人が面白そうに見ていた。

イラスト2

0313 ヴェルサイユ

▼旅行13日目
写真(ヴェルサイユ)
★3月13日★フランス3日目。Versailles

イラスト6
 翌13日はヴェルサイユ宮殿に向かう。パリから電車で45分ほど。駅から歩いて10分である。宮殿はとにかく広く、豪華だった。大きな宮殿の全ての部屋が10回以上改装したのだとガイドに書いてあったとおり、本当に贅を尽くしたつくりになっている。

イラスト6

 また、庭園も広大で、宮殿からはるか先まで続いている。なにしろ庭の中に大運河があって、ルイ14世はその運河で離宮まで行っていたそうだ。ちなみにこの離宮までは約2キロ。大運河は全長3キロだそうだ。

イラスト6

 庭園は直線的な道と、その道に挟まれた木々、そして道が交差するところに噴水があるとても人工的な感じのする庭だった。庭の木々はきれいに刈りそろえられていて、また機械の回路のように複雑で精巧に配置されている。低木によって迷路のようなエリアや、中心の噴水から放射状に道が広がる林などがある。また、長方形に刈り込まれた大きな木による並木道が延々と続くなど、イギリスのバッキンガム宮殿前の公園とは趣が全く違う。
イラスト6


 ヴェルサイユ宮には離宮が2つあるが、ルイ16世によってマリーアントワネットに贈られた小トリアノン
宮がある。ここにも庭があるのだが、こちらの庭はイギリス風庭園を内包しているだけあって、曲がりくねった道や起伏、洞窟や雑多な木々がある。個人的にはこちらの庭の方が、落ち着く。
イラスト6

イラスト6

 このヴェルサイユ宮殿の一番の印象は「兵どもの夢のあと」であった。または、ジブリアニメの「天空の城ラピュタ」のシーンで、パズーとシータがラピュタ城の庭で園庭のロボットに「君、さびしくないの?」と聞いたときを思い出させた。庭や宮殿は今でも華美で尊大だが、主のいない宮殿は、どこか物悲しい。

2010年4月4日日曜日

旅行記0312 パリ(ヴィンセンヌの森、ルーブル博物館など)

▼旅行12日目
写真(パリ)
写真(ルーブル博物館)
★3月12日★フランス2日目。Paris

 ユースホステルはパリの中心部から東側に郊外部分にあって、環状道路が近いダルタニアンユースホステルであった。ここから、Velibに乗ってヴィンセンヌの森~ルーブル博物館~コンコルド広場~シャンゼリゼ通り~凱旋門~エッフェル塔まで、歩きを挟みながら移動した。ヴィンセンヌの森は、パリに2つある広大な公園で、広大な芝生や池、林がある公園である。Velibに乗っていたら公園管理人に怒られてしまった。イギリスやオランダでは公園内の自転車はOKだが、フランスでは禁止なのだそうだ。
イラスト6
 ヴィンセンヌの森からは環状線に沿って南下してセーヌ川を渡り、その後はセーヌ川の左岸をのんびり走っていた。ここでもLondonとの比較になるが、セーヌ川沿いはプロムナードが整備されておらず、歩行者や自転車はたびたび車道に阻まれてしまう。ロンドンのテムズ川右岸。ロンドンアイからテートモダン、ロンドンブリッジまでの歩行者用プロムナードは、車道とは一段低いレベルにあって、ほとんどの部分を歩いていくことができる。そことの比較をしてしまうと少し残念な気がした。
イラスト6

 そのままノートルダム寺院に着く。このセーヌ川の中州であるシテ島に立つ寺院を通って、さらにルーブル博物館へ。ルーブル博物館ではギリシャ・ローマ時代の像、サモトラケのニケや、ミロのヴィーナス、アウグストゥスやハドリアヌスを代表とするローマの皇帝達の像に感動しながら3時間ほど過ごした。絵画や内装、天井の装飾画も素晴らしかった。
イラスト1
ルーブル美術館の入口

イラスト2
サモトラケのニケ像

イラスト3
ローマ時代の彫像が並ぶ部屋
イラスト4
 初代皇帝アウグストゥスの像

イラスト6
学校の美術の授業(?)は本物を見ながら・・

 ルーブル博物館からコンコルド広場にかけて、公園内を歩いた。ここにはユリウス・カエサルの像やハンニバルの像なども立っており、コンコルド広場の中心に立つオベリスクはエジプトを思い出してくれた。シャンゼリゼ通りをひたすら凱旋門まで向かい、途中Velibに乗りながら進む。凱旋門では、その門の真下に献花と火があって、何か捧げられていたのだが、それが誰に捧げられていたのかはわからずじまいだった。そこからエッフェル塔まで歩き、エッフェル塔の展望台に行く人の列を横目で見ながら写真だけ撮ってその日の街歩きを終了した。
イラスト6
パリにゴスロリが!           
イラスト6
凱旋門