★西ベルリン写真
ベルリン2日目は、午前中ベルリンの観光名所である国会議事堂と、虐殺されたユダヤ人の記念館、モダンなポツダムプラッツを見た。午後は、旧東ドイツの時代に作られた古いマンモス団地に行き、団地のリノベーションの現場を見学した。
ベルリンの観光名所、国会議事堂は朝の九時から30mくらいの行列・・。しかも並んでいる内にさらに伸びていって50mくらいの行列になるほどの人気だった。粘って粘ってなんとか入り、ボディチェックを受けてエレベーターで屋上展望台へ。ガラス張りのドームのような展望台はとにかくきれい。そしてベルリンの街が一望できる。ベルリンの街は建物の高さ制限がきっちりされていると思われる。何よりもすごいのはドームの中央部には巨大な鏡のモニュメントがあり、これは真下にある本会議場に太陽光を反射させていれる採光システムだった。
素敵な国会議事堂を後にして、ユダヤ人の記念館へ。無機質なコンクリートブロックがひたすら碁盤目のように置かれたこの施設は、最近できたらしい。コンクリートブロックは一つで小さな電話ボックスくらいある。それが縦横に並んでいてとても不思議な感じになる。地下が博物館になっていて、虐殺された人々の記録が生々しく残っていた。
ランチはケバブを食べる。ドイツはかつての3B作戦(ベルリン、ビザンティウム、バクダット)の名残なのか
★東ベルリン写真
団地のリノベーションの現場を見たいと思って、ベルリン中央駅から電車で30分ほど。マルツァーレン・ヘーラースドルフ地区である。ここは、日本の多摩ニュータウンのような郊外のマンモス団地で、1980年代ごろに開発された、6万戸を超える巨大な団地で、工場で作られたパネルによって無機質に延々と作られたマンション群は、労働者のコインロッカーと呼ばれたそうだ。これらの団地は、東西統一後に良い仕事や住環境を求めて人が離れゴーストタウンになりそうになった。それを、国の旧東側の開発プロジェクトの一環で、魅力的な住環境を再構築したものだ。
そのやり方は、人が少なくなったマンションの撤去によりコミュニティスペースや市民農園を作ること、建物の断熱性能の向上やエレベーターの設置、壁に色や絵を塗って外観をよくすることなどである
翌20日はヨーロッパ最終日。乾燥したベルリンを経ち、一路フランクフルトへ。
フランクフルトからはモスクワ経由で成田へ。深夜発のフライトでモスクワに着いたのは朝の5時。そして、成田発の飛行機は同日の19時。ひたすら空港内で時間を過ごし、無駄に過ごし、売店上のテレビで放送していたサッカーをみて、ひたすら時間を過ごしてついに日本に到着。
この長い旅を経て、多くの人に出会ったし、日本の街のことが別の視点で見れるようになった。本当によい経験ができた。
2010年5月17日月曜日
2010年5月9日日曜日
ベルリン0318
▼旅行18日目
▼写真(ドイツ)
★3月18日★ドイツ4日目。Berlin
フライブルクで21時に夜行列車に乗ってベルリンへ向かう。夜行列車はこの旅で初めて。6人一部屋の夜行列車だが、3人だったのでラッキーだった。ちなみにドイツとスイスの方が一緒で、日本の横浜という街から来たとか話しながらベルリンに到着した。
ベルリン中央駅は地下と地上にもホームがある巨大な駅。きっとベルリンの壁がなくなった後作られたのだろう。朝の7時にベルリンに着いたので、とりあえず駅近くの観光名所、ブランデンブルグ門へ。そこではパントマイマーが準備をしていた。門の前には自分が立つ台を置いたり、位置を確認したりと余念がない。そこからさらに歩いて今日泊まるホテルへ。荷物だけ置くことができて幸運だった。
ベルリンは二泊三日の行程なので、初日はベルリンの街を歩きまくることにした。まずは旧チェックポイントチャーリーハウス、ベルリンの壁の検問がかつてあって、壁を越えようとした人たちの戦いの歴史を紹介する博物館へ。2つのトランクを繋げて穴をあけ、その中に入って壁を越えた女性。トンネルを掘っての大脱走。壁を越えようとする人を全自動で打つマシンガンを命がけで解体した人。手製の飛行機で脱出した人などが、そのグッズとともに紹介されていた。
そこから東側の街をてくてく歩く。天気が良かったためか、川沿いにはたくさんの釣り人がいる。また、ベルリンの旧西側は地下鉄が多いが、旧東側は路面電車がメイン。また、建物も西側はきらびやかで東側はのどかな感じ。やはり旧東西の違いは今も残る。
川沿いを歩いてヤノビッツブリュケ駅まで到着。隣のアレクサンダープラッツ駅で降り、ベルリン王宮や博物館島へ。
外観を写真だけ撮り、さらに歩いて再びブランデンブルグ門へ。昼間の門は朝と違って大量の観光客だった。その近くの公園が見えるパブでランチをとる。なんといってもビールはおいしい。ジャーマンポテトも頼んだら量が半端なく多かった。
ランチを食べ、近くにある国会議事堂へ。ドイツの国会議事堂は、屋上がガラス張りの展望台になっていて入場無料のため、恐ろしく混んでいる。この日は入場をあきらめ、ベルリン中央公園へ。この公園もとにかく広い。そして、LondonやParisの公園と大きく違って林が中心。芝生は少ない。ゲルマン人は森の人だとガリア戦記でカエサルが書いていた。2000年前からドイツ人の本質は変わっていないのかなと思うと面白かった。
中央公園をひたすら歩き、動物園の脇を通るとアルパカが見えた。さらに進んでベルリン動物園駅へ。駅の周りは旧西側であり、どこか活気がある。活気もあるが、欲望もむき出しで、エロティック博物館まである。シュツットガルドもそうだったが、ドイツは商業中心地に歌舞伎町みたいなエリアが多い気がした。
▼写真(ドイツ)
★3月18日★ドイツ4日目。Berlin
フライブルクで21時に夜行列車に乗ってベルリンへ向かう。夜行列車はこの旅で初めて。6人一部屋の夜行列車だが、3人だったのでラッキーだった。ちなみにドイツとスイスの方が一緒で、日本の横浜という街から来たとか話しながらベルリンに到着した。
ベルリン中央駅は地下と地上にもホームがある巨大な駅。きっとベルリンの壁がなくなった後作られたのだろう。朝の7時にベルリンに着いたので、とりあえず駅近くの観光名所、ブランデンブルグ門へ。そこではパントマイマーが準備をしていた。門の前には自分が立つ台を置いたり、位置を確認したりと余念がない。そこからさらに歩いて今日泊まるホテルへ。荷物だけ置くことができて幸運だった。
ベルリンは二泊三日の行程なので、初日はベルリンの街を歩きまくることにした。まずは旧チェックポイントチャーリーハウス、ベルリンの壁の検問がかつてあって、壁を越えようとした人たちの戦いの歴史を紹介する博物館へ。2つのトランクを繋げて穴をあけ、その中に入って壁を越えた女性。トンネルを掘っての大脱走。壁を越えようとする人を全自動で打つマシンガンを命がけで解体した人。手製の飛行機で脱出した人などが、そのグッズとともに紹介されていた。
そこから東側の街をてくてく歩く。天気が良かったためか、川沿いにはたくさんの釣り人がいる。また、ベルリンの旧西側は地下鉄が多いが、旧東側は路面電車がメイン。また、建物も西側はきらびやかで東側はのどかな感じ。やはり旧東西の違いは今も残る。
川沿いを歩いてヤノビッツブリュケ駅まで到着。隣のアレクサンダープラッツ駅で降り、ベルリン王宮や博物館島へ。
外観を写真だけ撮り、さらに歩いて再びブランデンブルグ門へ。昼間の門は朝と違って大量の観光客だった。その近くの公園が見えるパブでランチをとる。なんといってもビールはおいしい。ジャーマンポテトも頼んだら量が半端なく多かった。
ランチを食べ、近くにある国会議事堂へ。ドイツの国会議事堂は、屋上がガラス張りの展望台になっていて入場無料のため、恐ろしく混んでいる。この日は入場をあきらめ、ベルリン中央公園へ。この公園もとにかく広い。そして、LondonやParisの公園と大きく違って林が中心。芝生は少ない。ゲルマン人は森の人だとガリア戦記でカエサルが書いていた。2000年前からドイツ人の本質は変わっていないのかなと思うと面白かった。
中央公園をひたすら歩き、動物園の脇を通るとアルパカが見えた。さらに進んでベルリン動物園駅へ。駅の周りは旧西側であり、どこか活気がある。活気もあるが、欲望もむき出しで、エロティック博物館まである。シュツットガルドもそうだったが、ドイツは商業中心地に歌舞伎町みたいなエリアが多い気がした。
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